日本のバイクカルチャーに根差した新ブランドが生まれた経緯を聞く
Edit & Text by Yukihisa Takei(HONEYEE.COM)
Photo by TAWARA(magNese)
NEEDLES、ENGINEERED GARMENTS、SOUTH2 WEST8、AiEなど、当メディアでもお馴染みのブランドを複数手掛け、日本のファッションシーンの中で独特のポジションを保つNEPENTHES(ネペンテス)が、新たなブランド 紫電(SHIDEN)をスタートする。
2024年1月のパリメンズファッションウィークで発表され、ついにこの秋にデビューを果たすこのブランドは、日本のバイクカルチャーをテーマにしており、国内ファッションスタイリストの中でも現在最も注目のひとり、服部昌孝がディレクターとして名を連ねている。
ネペンテスが外部の人物をディレクターとして起用するのは異例。このブランドにおいて、気鋭のスタイリストとネペンテスの代表である重鎮 清水慶三とタッグはいかにして始まったのか。リリースが間近に控える中、HONEYEE.COMが服部昌孝に最速インタビュー。疾走を始めたこのプロジェクトの道筋とは。
無免許から2年半で「マシン沼」にハマるまで
― 紫電(SHIDEN)の話はどのようにスタートしたのですか?
服部 : 長年NEEDLESのカタログのスタイリングをやらせてもらっているのですが、僕が運転免許を取ってからクルマとバイクに興味が出て来て、だんだん服装も“そっち寄り”になって行ったんです。でもバイクに乗る時に着る服があまりないなと思って、「ネペンテスのどれかのブランドでバイクウェアを作ってもらえませんか」とお願いしてみたんです。「じゃあどんなのがいいの?」と。そういう会話を繰り返すうちに、「一緒にやる?」みたいな流れになったのが紫電(SHIDEN)の始まりです。
― 「免許取った」という話ですが、服部さんはそれまで免許を持っていなかったのですか。
服部 : この仕事をしているのに、ずっと持っていなかったんです。普通は高校卒業と同時に取ったりしますよね。でもタイミングを逸していて、大学3年の時にはスタイリストアシスタントになったので、当時はチャリでリースを駆け回って。忙しいから教習所にも通えないし、カネもない。5年で独立するのですが、とりあえずクルマは買っても、アシスタントが運転して、自分は助手席。そういう生活がずっと続いていたので、まずはクルマの普通免許を取って、その足で一気にバイクの中型、すぐに大型を取りました。それが2年半前です。
― そこから今や連載(「スタイリスト服部昌孝のマシン沼。」)を持つほどに。現在クルマやバイクはどれくらい所有しているのですか。
服部 : 自分が使う車は10台くらいあって、バイクは4台です。制作チームの「服部プロ」が使うクルマ、(自身のロケバス会社の)栄光丸が使っているロケバスまで入れるともう20台近いです。
― 異常な増え方(笑)。ちなみに自身で乗っているのはどんな車種ですか。
服部 : クルマはマツダのサバンナRX−7、ロードスター、ダットサンの240Z、ルノー4キャトル、スズキのジムニー……あたりで、バイクはスズキのカタナ3型、インパルスS、ハーレーの XLCRというカフェレーサー、いま納車待ちがホンダのスペーシー125 ストライカーです。
― 結構マニアックな感じがしますが、車種選びのポイントは何かあるのですか?
服部 : あくまで自分が乗りたいマシンです。ほとんど古いクルマだし、売れて高級車に乗ったりするクリエイターになりたくなかったんですよ(笑)。フォルムもそうだけど、基本は“乗り味”がベースなので、スポーツカーやレーサー系バイクが多いですね。
― 選んでいる車種が、にわかなクルマ好きとはちょっと違いますよね。
服部 : 子供の頃から好きだったんです。鈴鹿サーキットに行ったり、ミニ四駆もハマっていたし、オモチャもクルマばかりでした。でもなぜか自分はずっとその“好き”にフタをしてきて、30年くらい経ったらそのフタが開いたという。今や激ハマりですから。
― そういう中で、「バイク乗る時に着る服がなかった」のが紫電(SHIDEN)の原点なんですね。
服部 : 天邪鬼で生きてきたので、「ハーレーに乗るからこのブランド」みたいなカルチャーがそもそも好きじゃないんです。このバイクだからコレ、みたいなルールも嫌だし、何を着てもいいじゃんと。でも、特にレーサー系のバイクに乗っていると、しっくり来る服がない。服からバイクを選んでもいい、マシンを降りても街で着られて、別に乗らなくてもいい。そういうブランドがあればいいなと思っていました。
ネペンテス 清水慶三 とのチームワーク
― NEEDLES、ネペンテスは、日本のファッションの中でも少し特異な存在ですよね。
服部 : 特別ですね。その昔、ネペンテスに通っていた頃は店も怖くて、「試着させてください」なんて言えないから、しょっちゅうサイズ間違えて買ってましたし(笑)。昔からそうだし、スタイリストになっても、ずっと特別な存在でした。雑誌の企画でご一緒したのが最大のきっかけなのですが、僕がその時に大きなミスをやらかして。でもその謝罪に行ったことでご縁が生まれて、カタログの話をいただいたんです。本当に光栄でしたし、僕なりに提案も色々した結果として、長年やらせてもらっていることも誇りに思っています。
― その関係性が 紫電 (SHIDEN)に繋がっているわけですよね。「一緒にやる?」という話から、どのように進んできたのですか?
服部 : まずはネペンテスの(ディレクター)青柳徳郎さんとお話して、そこから清水(慶三)さんにプレゼンさせてもらいました。日本のバイクカルチャー、キアヌ・リーブスのバイクスタイルだとか、あらゆる角度からお話したら、「面白いんじゃない?」と言ってくれて。清水さんもずっとバイクがお好きだし、分かってくれたんだと思います。そこから僕と青柳さんがグラフィックの方向を固めて、清水さんを含めて打ち合わせをして。で、しばらくしたら「サンプル出来たよ」と。「え!?」でしたね(笑)。で、「ここからが服部の仕事です」と。ワッペンのディレクションを任されたので、一人で缶詰になって、まっさらな服とワッペンを睨めっこして、配置を決めて行ったんです。
― そういう流れの作り方だったのですね。
服部 : だから僕のイメージはお伝えしたけど、服はやっぱりネペンテスなんです。そして僕がサンプルを試着して微調整をしてもらう流れなので、我ながらすごいポジションで入っているなと恐縮しています。ほぼ“言ってるだけ”ですから。でも、丈の長さとか、割と細かい部分で言わせてもらっていて、そのやりとりを清水さんも楽しんでくれている気がします。時々反応怖いすけど(笑)。
― 1月にパリで展示会形式での発表をしましたが、海外での反応はどのようなものでしたか?
服部 : ネペンテスのブランドは海外でも人気が高くて、NEEDLESなどを目掛けてバイヤーは来るのですが、反応はまだ半々だった気がします。僕がそこで初めて“展示会に立つ”という経験をさせてもらって驚いたのは、清水さん発案で作った服の反応が凄いんですよ。例えばメッシュのボーダーのハイネックとか絶妙なポロシャツとか、僕の中からは絶対出てこないアイテムをみんな熱心に見るんです。改めて清水さんのデカさを知った気がします。
― 紫電 SHIDEN の展開は秋冬のみの展開、ということですよね。
服部 : あまりシーズンは気にしていないのですが、ブランド的にどうしても秋冬の服が多くなってしまうので、秋冬だけにしよう、という話になっています。むしろ今後ギアとかは増やしたいと話をしています。
スタイリスト 服部昌孝の流儀
― 日本ではスタイリストがブランドを手掛けるという文化が割と長くありますよね。服部さんはそれをどのように見てきたのですか。
服部 : 実はそこには結構抵抗があって、自分は絶対やらないと思っていました。僕は基本的に他の人の仕事、特にデザイナーや生産背景の方々にはリスペクトを持っているんです。スタイリストという“服を着せる側”の人間が、「いい服がないから自分で作りました」というのは、作り手に対する冒涜じゃないかと思っていて。でも、それを自分がリスペクトしているデザイナーが作ってくれるんだったら、話は別だなと。僕は勝手に清水さんを“東京のオヤジ”だと思っているし、そのオヤジがデザイナーならもういいだろうって。
― ネペンテスとしても外部の人と服を作るのは異例ですよね。
服部 : コラボレーションとしてはありますけど、ディレクターというのはないので、すごく重みを感じています。
― 服部さんは最近雑誌『EYESCREAM』で1冊特集されるほど注目される存在になりましたが、ここまでどんな気持ちでスタイリスト業をやってきたのですか?
服部 : 僕がスタイリストを志した頃、日本のファッションや雑誌はもっとパワーがあったし、スタイリストもスター的存在でした。でも、僕が独立する頃にはすっかりその風潮も無くなって、スタイリストは“裏方”になっちゃいましたよね。でも僕はずっと裏方として、人、モノ、やり方を振り回して来たんです。で、振り回し続けた結果、道が拓けたところがあります。雑誌の特集に出たのも、もっとメディアに出て、認知度や発言力を上げて行かないと、という気持ちからなんです。
― スタイリストとしてはもちろん、制作プロダクションの「服部プロ」を立ち上げたり、ロケバスの会社(栄光丸)を始めたり、スタジオを作ったり。そういう動きもそのひとつですよね。
服部 : それも全部コロナ禍に始めましたから。あの時期は少し自分の時間が持てたので、自分を見つめ直したんです。「人としてカッコいいってなんだろう」みたいな。もっと男としてアガることを考えた流れで、クルマやバイクに走って行ったし、新しい事業も始めて。それもファッションの世界における清水さんみたいな、魅力的な人間になりたいと思ったのがきっかけなんですよね。でもまあ、新しいことを始めるたびに色々言われますよ。自分の仕事をインスタで発信し始めた時(※)も散々言われたけど、鋼のメンタルで乗り越えてきました。出過ぎる杭は打たれないので(笑)。
※雑誌などのメディアにおけるスタイリングワークを、自身のインスタグラムでも投稿。現在では主流になっている手法は服部が率先して始めたとされている。
― 服部さんのスタイリングには、そういう強さとか、独特の不良感がありますよね。
服部 : うーん、でも不良感よりはファッションとしての“品”を大切にしていますね。ただ“強い”のは写真選び、色の使い方にしても好きですけど。確かに服部プロも「石原プロ」から来ているし、ロゴも「西部警察」のイメージなので、女性が見てセクシーなんじゃなくて、男から見たセクシー、強さを求めているかもしれません。あ、だから“不良”なんですね。言われてみればそうかもしれません。
― 最後に、服部さんが考えるファッションの格好良さとはどういうものですか?
服部 : ファッションって結局、人間力だと思っているんです。全てそこに結び付くという気持ちで自分も仕事をしているし、ファッションだけでは語れない気がします。ファッションって生き様だと思うので、自分もそういう生き方をしたいし、「アイツ次は何するんだ?」って思ってもらえるようにやっていきたいですね。秋にはまた新しい動きも準備しているので、楽しみにしていてください。あ、あと個人的には今勝手に、紫電カラーのカスタムバイクを作っていて納車待ちです(笑)。
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10 questions to MASATAKA HATTORI
1.最近の平均睡眠時間は?
完全に日によります。最近は寝るように心がけてます。
2. 一番よく食べているものは?
生魚。寿司とかポキとか。
3. 長年愛用している服やアクセサリーは?
クロムハーツのキーチェーン。ヨウジヤマモトの香水。
4 .自分が一番落ち着く場所は?
喫煙所。
5 . スタイリストにならなかったら、何になっていた?
大学時代に目指してた司法書士かな。
6. 海外に住むならどこ住みたい?
LA。結果、日本。
7. 一番好きな写真集は?
高橋マリ子「太陽とハチ蜜」
8. いま一番欲しいものは?
車とバイクと資金。
9. 自分が絶対にやらないこととは?
裏切ること。なにがなんでも責任をとる。
10. いつかスタイリングをしてみたい人物は?
北野武。沢田研二。
Profile
服部昌孝 | Masataka Hattori
1985年生まれ。静岡県浜松市出身。スタイリストアシスタントを経て、2012年に独立。ファッション誌、カルチャー誌を中心に、カタログ、広告、ショーなどで幅広く活躍。特にミュージシャンのスタイリングは数多く手がけており、2020年には制作会社 株式会社服部プロを設立し、ムービー等のディレクションも行う。2021年にロケバス会社 株式会社栄光丸も設立。2024年にネペンテスの紫電(SHIDEN)のディレクターに就任。
https://www.instagram.com/masataka_hattori/
https://www.masatakahattori.com
[CONTACT]
ネペンテス
TEL : 03-3400-7227
https://nepenthes.co.jp
https://www.instagram.com/shiden_beyond_the_speed/
[編集後記]
文中では当然「服部さん」と表記しているが、自分の中ではいつもの呼び名「服部くん」の方がしっくり来る。彼がアシスタントから独立間も無くのタイミングで仕事をさせてもらったのは10数年前。その時から「パワーのあるスタイリストが出てきたな」と感じていた。その後、さまざまな仕事で一緒になっているが、毎回全力で取り組んでくれるだけでなく、会う度にアップデートしていた。言動はブルドーザーの如くでありながら、仕事は実に繊細。だから信頼が生まれる。同様に感じている同業者は多いだろう。そんな男がネペンテスとブランドを手掛けるようになったのは、自分の中では必然の気がしている。(武井)