HIROSHI FUJIWARA “SLUMBERS 2” #2
2020.11.27

Photo: Shoichi Kajino (Studio, Live), Takao Iwasawa(Portrait)
Text: Tetsuya Suzuki

ミュージシャン・藤原ヒロシ3年振りのオリジナル・アルバム『slumbers 2』がリリースされた。前作『slumbers』に続き、渡辺シュンスケをサウンド・プロデューサーに迎え制作された本作は、ディスコ、ダブ、ハウス等、藤原のキャリアにおけるバラエティに富んだ音楽性を現代的な形でアウトプットした内容となっている。時代により表現方法を変えながら作品を作り続ける藤原ヒロシにとっての音楽とは? 前後編にわたりインタビューを公開する。

Honeyee(H):サブカルチャーとしての音楽が成り立ちづらいという点で、これはファッションや他のジャンルのクリエーションについても当てはまるかもしれませんが、今は最低限のセールスや知名度を得ないことには存在できないというか、ある程度売れていないと認められない、場合によっては売れていないと「かっこ悪い」とみなされてしまう風潮があるのではないでしょうか。

藤原ひろし(F):それは、どうでしょう。僕は“売れていなくても優れたもの”、“有名でなくてもカッコいいもの”は存在できると考えています。ただ、昔はアーティスト自身が自分の好きなこと、やりたいことを優先しようとするのをレコード会社のスタッフやマネージャーが、もっと聴く人たちを意識したもの作るようにアーティストを説得するという状況が普通だったと思うんです。でも今はアーティスト自身が自分たちのファンのリアクションを凄く意識して作っている傾向がある気がしますね。

H:そんなふうに「今」と「昔」の音楽シーンのあり方の違いを感じるなかで、やはり80年代、90年代から活躍する同世代のアーティストやDJ、音楽プロデューサーで、共感する人っていますか?

F:いないかな。やっぱり、僕は他の人とはいろいろと違うと思うので。同じ世代で昔のスタイルをずっと続けている人がいたとして、それはそれでカッコいいとは思うけれど、共感するというのとは違いますね。

H:その点、ヒロシさんは音楽へのアプローチの仕方、表現の仕方をそのときどきで変えながらも、常に自身の興味の赴くままに第一線で作品を作り続けているわけですが、そうしたことへの自負はありますか?

F:そうですね、ぎりぎりやれている、という感じではあるけれど。 “好きなこと”をまずやって、それが売れるかどうかは後から付いてくれば良いという考え方を変えずに、なんとか続けることができているとは思いますね。

H:その秘訣というのは何でしょう?

F:はっきり言えば、音楽だけをやっていたら、今回のアルバムも作ることがでなかったと思うんですよ。僕は音楽以外の活動もあるから、余裕をもって音楽を作ることができている。そこは音楽だけを真摯に作っているミュージシャンやアーティストとは違いますよね。それに、僕の場合は音楽をやっているからできるデザインもあるし、まあ、そこは“グロス”で考えてもらって(笑)。

H:“ファッションやデザインの分野で活躍する藤原ヒロシ”の音楽ではあることは否定しない、と。

F:そう。それは、我ながら狡いなと思うところでもあるけれど。でも、その割には真剣に音楽をやっているというふうに見てもらいたいかな。『片手間の割には、ちゃんとやってるな』って(笑)。

前作『slumbers』を「NF Records」からリリースして以来、藤原は同レーベルのオーナーであるサカナクション・山口一郎と公私に渡り親交を深めている。前述の「NF ONLINE」のライブでは、最新作『slumbers 2』から、ミドルテンポのメロウなダブサウンドでカバーしたサカナクションの代表曲「新宝島」とMVに山口が参加した「TERRITORY」の2曲を自身のアコースティックギターに乗せ、山口とともに熱唱。世代もバックボーンも異なるがゆえに、お互いをリスペクトし合う藤原と山口の絶妙なケミストリーは、もはや「定番」と言える安定感をキープ。藤原の近年の音楽活動において、山口一郎ならびに「NF」の存在は決して小さなものではないことが窺える。

H:いや、かなり真剣にやってらっしゃると思います(笑)。真剣というか、ヒロシさんのデザインの仕事が、海外のビッグブランドとの取り組みを始め、ファッションやプロダクトだけでなく空間デザインの領域まで広がり、よりインターナショナルかつ多岐に渡るものになっているなかで、むしろ、音楽こそが一番パーソナルというか、ヒロシさんの気持ちや考えをストレートに表すものになっている気がするのですが。

F:それはあると思いますね。最近は特に。やっぱり、ファッション、特にハイブランドとの仕事だと、向こうが打ち出したいことが最初に決まっていて、そこに僕がデザインをはめていくだけのものとかもあるし。そういうものに昔の自分なら凄く反発していたかなとも思うけれど、今は、それを受け入れる分、相手のブランドは絶対にやらないような僕のアイディアを実現させたりすることがコラボレーションの意義かなと思うようになっていますね。デザインの仕事が、そういうやり方のものが増えていく中で、確かに音楽は自分がやりたいことを最後までしっかりと表現することができるものになっていると思う。

H:そこで、ひとつ例え話ではないですが、ヒロシさんは中学・高校の制服のデザイン監修(注1)をされましたけれど、では、「校歌」の詞曲は作るかというと……。

F:ああ、校歌は作れないですね(笑)。

H:音楽ではそこまでパブリックになれない?

F:いや、パブリックであっても、どこか突き放せるものでないとやれないというか。制服を作るまでは、僕なりの発想でそれを崩すというか、それまでとは違うものに出来ると思うけれど、校歌となると僕には相応しくないと思うから。なんだろう、自分がなにか“良いことをしている人”みたいに見られるのが嫌なのかな。そもそも、誰とでも仲良く和気あいあいと、っていうタイプでは決してないし。でも、最近は僕に一般的な社会性を求めているような仕事のオファーが多いんですよね。そういうときは、他のもっとふさわしい人を紹介するようにしていますが(笑)。

H:そうなると、やっぱり音楽を作ることは、他の仕事とは少し違う意味合いのものになるのでしょうか?

F:音楽でもデザインでも、何かを作るという点では、それぞれに面白い瞬間、特に完成直前の面白さというのがあって、その感覚は変わらないかな。ただ、音楽の方が、僕のシニカルな部分や社会に対する考えなんかを出せるとは思います。

H:では、『slumbers 2』のなかの「PASTRAL ANARCHY」という曲の歌詞は、やはり、ヒロシさんが理想とする社会のあり方を表しているのですか?

F:あの曲は、スイスにモンテ・ヴェリタという山があって、そこで1890年代くらいにドイツの産業革命に嫌気が差した思想家やアナーキストたち、(カール・)ユングなんかもいたんだけれど、そうした人たちが集まり、語り合いながら、野菜を栽培したり、裸で暮らしたりっていうユートアピア的なコミューンを作っていた場所で、僕はスイスに行くたびそこに寄るんだけれど、いつかその場所のことを歌にしたいと思っていて、今がそのタイミングかなと。よくそこで考えていたのは、そういうユートピアを目指す人達が、なぜ過激化するのかということ。自分たちだけの理想郷を目指して静かに暮らしていればいいのに、いつの間にか排外主義のカルトのようになって攻撃的になっていくケースってあるじゃないですか。その変化のポイントってどこなんだろうとか、そんなことを考えていたので。

H:そして、かつてモンテ・ヴェリタに存在していた、あるいは、それ以外でも世界のどこかに存在したかもしれない自由な共同体の風景を思い浮かべていた、と。

F:そう。誰とも戦う必要なく、自分たちだけで好きなことをやっているんで放っといてくれ、みたいなね(笑)。

H:そうしたヒロシさん独特の社会への関心のあり方に対して、もっとはっきりとした政治的な立場、アイデンティの表明を求めてくる人たちもいると思います。特に今は世界的にそうした傾向が強くなっているように思います。

F:僕自身は誰かに政治的な立場やその表明を押し付けるのは馬鹿げていると思っていて、やっぱり、SNSのコメントなんかを見ていると『なぜ、積極的に(政治的な)発信をしないんだ』とか、僕に言ってくる人もいるけれど、そういうことは誰かに言わされることではないと思うし、何より自分の考えを他人に押し付けたりするのが好きではないので。それより、僕の「PASTRAL ANARCHY」を聴いていた人が、たまたまモンテ・ヴェリタについての文献を目にしたときに『あ、これ、あの歌のことじゃん』って気づいてくれるような、何年後か何十年後かであっても、僕の歌に振り向いて、気づいてくれるようなことがあれば、それで良いなと思うんです。