Edit&Text by Yukihisa Takei(HONEYEE.COM)
Photo by Kiyotaka Hatanaka
Movie Directed by Ryoji Kamiyama
“その内側までをデザインする”
ファッションはアウトドアウェアが持つ機能性に惹かれ、アウトドアブランドはファッションのデザイン性に惹かれ合ってきた。そのFASHIONとFUNCTIONの頭文字“F”をブランド名に掲げ、両面の可能性を追求している日本のブランドがF/CE.®だ。今回は2010年にスタートし、現在では海外でも高い人気も獲得しているF/CE.® のデザイナー、山根敏史に話を聞いた。
デザイナーとミュージシャン、異なる本気度
山根敏史の経歴は少し変わっている。toeという人気インストバンドの現役のベーシストであり、F/CE.®のデザイナーであり経営者でもある山根は、かつてはアメリカのサンダルブランド CROCSの黎明期から日本に広めた張本人でもある。F/CE.®を知る上で欠かせない、ミュージシャンとしての山根、そしてわずか数年でCROCSを超メジャーな存在にした手腕を聞くところから話は始まった。
― toeのベーシストというミュージシャンの顔も持つ山根さんですが、音楽活動はいつからですか?
山根敏史(以下 Y) : バンドは15歳の時に始めました。僕は名古屋の出身なのですが、名古屋の方にはハードコアパンクを中心にしたシーンがあって、僕も最初はfragmentというハードコアパンクのバンドからスタートしています。toeを結成したのは2000年です。名古屋の頃から一緒にライブもやっていた山嵜(廣和)くんに誘われて加入しました。まさか20年以上続くバンドになるとは思わなかったですね。
― ミュージシャンで食べていこうとは考えたりしなかったのですか?
Y : それは思わなかったですね。僕の場合、ずっとハードコアパンクをやってきたので、そういったバックグラウンドから音楽は結構ストイックな自己表現の場であって、CDを作ったりライブもやったりもしますけど、音楽でお金を儲けてたとえば誰かを雇用するみたいなものではないと思っていました。でも本気でやっている分、ライブで良い演奏ができなかったりすると、仕事も手に付かないくらい落ち込みます(笑)。
― 音楽に対して極めて純度が高いというか。
Y : そうです。でも好きな音楽を続けていくためには、何か仕事をしなければいけない。そう考えた時に、やはり好きなことを仕事にしたいと思ってファッションの道を選びました。最初は MEN’S BIGI に応募して入って、TUBEの斎藤久夫さんやArchive & Styleの坂田真彦さんの元で服作りのアシスタントとして学ばせてもらいました。6年間で技術的なことだけでなく、海外に連れて行ってもらったり、欧米からモードの洋服や文化に関するいろんなことを教えてもらいましたね。
CROCSとの出会い
― CROCS と関わるようになったのはその後ですか?
Y : 僕もアシスタントから卒業して、そろそろ自分で何か新しいチャレンジをしようと思ってフリーになった時に、付き合いのあったギターの会社でMorrisなどを取り扱っているモリダイラ楽器の森平さんから、「山根くん、すごいサンダルを見つけたので見てくれないか」と連絡があったんです。それがCROCS の前身ブランドである REBOUND というサンダルでした。
― そこで音楽経由の人脈から話が出てくるのが面白いですね。
Y : そうなんですよね。そのサンダルはアメリカのコロラド州のボルダーで立ち上がったブランドですが、見た瞬間むちゃくちゃ面白いと思いました。ものすごく軽いだけじゃなく、履くことによって健康改善にも繋がる人間工学に基づく科学的根拠も備わっていました。僕は可能性を感じて「これを日本で”1億2000万人が履く靴“にできる」というコンセプトとビジネスプランを一緒に作ったんです。
― 1億2000万人って日本の人口ですよね。なぜそこまで行けると思ったのですか?
Y : カッコいいカッコ悪いの問題ではなく、科学的な根拠もあるので、“人に寄り添える商品”だと思ったんです。そして価格も3900円と安いから手を伸ばしやすい。年齢に関係なく、セカンドシューズ、サードシューズ、ビーチやベランダでも使える、Tシャツのような日常的存在になるんじゃないかと。アメリカの会社もアジアパシフィックの要として日本を重視していたので、そのモリダイラ楽器の森平さんと一緒にCROCS JAPANを立ち上げて、お手伝いすることになったんです。それが2004年のことですね。
― CROCSは本当に大ヒットしましたよね。
Y : でも最初は見向きもされませんでしたよ(笑)。そこでクルマを1台買ってもらって、僕ともう一人の昔からの友人を招き入れ、その友人と一緒にそのクルマいっぱいに500足くらいのCROCSを詰めて、日本全国を3ヶ月くらい走り回り、置いてくれるところを少しずつ足で増やしました。そこから問い合わせが少しずつ増えていって、気がついた時には年間60億円くらいの売り上げになっていました。僕はその後日本での功績が評価されて、新規事業であるアパレルとアクセサリーのアジアパシフィックの責任者兼デザインチームの責任者になり、アジア19カ国を見るようになりました。英語も必死に勉強しましたし、それがいまF/CE.®がグローバルに展開するようになったベースを作ってくれましたね。
ファッションとファンクションの融合
― そして、ついにF/CE.®をスタートしたのは2010年ですよね。
Y : 本当はCROCSもそんなに長くやるつもりはなかったのですが、自分のブランドをやりたいと思って最初はFICOUTRE という名前でスタートしました。でも造語なので英語圏の人は読めないし、2016年にF/CE.®に改名して今があります。
― 日本でもファッション×アウトドアが定着して以降、非常によく名前が出て来るようになったブランドがF/CE.®です。最初からそこは意識されていたのですか?
Y : はい、それは最初からですね。僕はトレッキングや山登りはストイックさを感じるので苦手ですけど、昔からキャンプは好きでした。非日常を求めて道具を揃え、あえて不便なところに行って時間を楽しむという行為に憧れがあったし、キャンプギアにも蒐集中毒性があるんですよ。あとは僕が1970年代頃のアウトドアウェアやその周辺カルチャーにもずっとハマって来たのもあって。
― 1970年代のアウトドアウェアには何があるんですか?
Y : 1970年代ってGORE-TEX®が登場して、L.L.BeanのビーンブーツのGORE-TEX®仕様が出てきたり、SIERRA DESIGNSのマウンテンパーカの60/40クロスが出てきたり、素材開発が進んだ時代です。”WHOLE EARTH CATALOG“が発行されたり、シリコンバレーでApple(Computer)が創業したりしたのもその時期だし。
― テックカルチャーの時代ですね。
Y : 音楽ばかりだった自分が、そういう面白さを知ったのがこの時代のものなので、ファッションと機能性の融合は最初から念頭にありました。そこに毎回旅を通じて得た海外の文化の部分をエッセンスに加えて表現しようとしたんです。だからF/CE.®の”C”はCulture、“E”はExplorerの意味が込められています。
― 日本では昔からアウトドアウェアを街で着るのが根強いですよね。たとえば“ヘビーデューティ”という言葉にも象徴されますが、街でオーバースペックなウェアを着るのを好む日本人の特性を、山根さんはどうご覧になっていますか?
Y : 日本人ってミックスするのが昔から非常に上手いですよね。たとえばJohn GallianoのパンツにLevi’s®を合わせちゃうとか。モードもヨーロッパカジュアルもアメカジもミリタリーもミックスできる感覚。日本特有のセレクトショップ文化とも言えますが、アウトドアとモードを組み合わせられるような感覚は日本らしいし、東京にいると僕もそういうインスピレーションをたくさんもらいます。
海外も認めるダウンジャケットとバックパックのクオリティ
― F/CE.®の中で最も力を入れているアイテムといえば何ですか?
Y : それは最初から現在までダウンジャケットとバッグですね。どちらもそれまで作ったこともなかったアイテムだったのですが、ブランドを始めると同時に強い興味が沸きました。
― F/CE.®といえばダウンブランドのNANGA との共作ジャケットが知られるようになりました。
Y : 僕はもともとキャンプ好きだったので、NANGAの寝袋を愛用していたんです。冬のキャンプで寝袋は一番重要なのですが、NANGAの寝袋は非常に優秀でした。ブランドを始めた頃にNANGAの二代目の方で現在の社長となる方がたまたま展示会にお越しいただいたのですが、そこですぐに意気投合したんですね。翌週には工場見学に行かせてもらって。そこに行った時に、NANGAのダウンやキルトの構造を使って自分がデザインをすれば、すごいダウンジャケットが作れると思って協業をお願いしたんです。
― ダウンジャケットはどういうところで違いが出るのですか?
Y : ダウンそのものの質やフィルパワーもあるのですが、キルトの構造によって同じダウンでも全然保温性が違うんです。そこが僕が面白いと思ったところで。僕はダウンジャケットを作る時に、もちろん外見もデザインするんですが、NANGAさんのダウンの技術をベースに、“内側のデザイン”もかなり細かくやりました。そして数年前にはNANGAのダウンに最も適した外側の素材も独自に開発しました。F/LIGHT®というものですが、薄くて、防水透湿で強度もあってナチュラルストレッチもある、僕たちが考えるダウンに適した最高の素材です。
― テック生地まで開発してしまうデザイナーは珍しいと思います。
Y : そうですよね。バッグに関しても素材開発にものすごく時間を費やしています。僕らは日本のバッグを作るブランドとしては後発なので、同じ素材を使っていてはダメだと思いました。そこでCORDURA®を作っているアメリカのインビスタ社に「こういうオリジナルファブリックを一緒に作りたい」とメールしたら、日本の法人と一緒に共同開発も出来るようになったんです。
― あのバッグもオリジナルファブリックだったんですね。
Y : バッグは各パーツにもこだわっていて、USミリタリーにも供給している韓国のメーカー、ジッパーは日本のYKK、縫製は著名なアウトドアブランドの縫製を数多く手がけているベトナムの工場です。ショルダーのハーネスも過去のアウトドアバッグの名品を分解して参考にした特殊な構造でお願いしています。こだわり過ぎてパーツ代や工賃にも跳ね返って来るのですが、価格は何とか2万2000〜4000円に抑えています。
デザインとベストプライスの追求
― そのプライスにもこだわりはあるんですか?
Y : そうですね。やはりグローバルで展開することも考えると、関税の問題も大きいので、手に取りやすい価格にはかなりこだわっています。あと僕はB品や返品理由の内容にも全部目を通しているのですが、要因になった部分を常に改良するなど、結構細かく手をかけていたりもします。それは外目に見えない部分が多いので、ほとんど気づかれないのですが(笑)。
― 逆にファッションって、どうしても付加価値的な考え方のところも多いですよね。
Y : 結局何をバリューにして届けたいか、だと思いますね。Patagoniaのイヴォン・シュナイダーだって最初はここまで大きなブランドになると思っていなかったと思いますが、何をバリューに人に届けるかを考え続けた結果が現在のPatagoniaに繋がっていると思います。僕らはそれに比べてまだまだですが、良いものを自分のデザインで、ベストプライスで届けたいし、お客さんに対してハッピーを届けられないとF/CE.®の存在意義はないと社員たちにも常々話をしています。僕はありがたいことにF/CE.®以外にもGURAMICCI パフォーマンスラインなど4つのブランドのデザインもさせてもらっていますが、仕事をする上ではその気持ちの部分は同じです。
― これからはどんな活動をされる予定ですか?
Y : 音楽活動については変わらずですが、現在F/CE.®は4割強まで海外で売れるようになっているので、その比率を5割まで上げるのを数年内の目標にしています。日本を拠点にしていると関税の問題などでどうしても僕らが届けたい値段よりも上がってしまうので、コロナが落ち着いたら近いうちに海外セールス拠点をイギリスに移して、物流拠点もEU圏内に移そうと考えています。日本もあくまで本拠点ですが、僕自身はあちこち行き来をしながらの方が良いものが出来るんじゃないかと思っているんですよね。
山根敏史 Satoshi Yamane
ファッションデザイナー
1975年生まれ。15歳からバンド活動を開始し、fragment、DOVEのベーシストとして活動。2000年からはtoeに参加。1997年にMEN’S BIGIでデザイナーとして活動し、2004年にCROCS JAPANの立ち上げに参画。同グローバルプロダクトアパレルラインマネージャー、アジアクリエイティブチームチーフデザイナーを歴任。2009年にOPEN YOUR EYES KK.を立ち上げ、FICOUTURE(現在のF/CE.®)をスタート。2018AWに妻でデザイナーの山根麻美とともに東京ファッションアワードを受賞。
[編集後記]
山根さんとはFICOUTUREの立ち上げの頃に出会っている。当時から穏やかな話し振りが印象的だった。今回改めてじっくり話を聞いて、その細かなデザインプロセスや、F/CE.®が日本だけでなく世界でも人気を獲得していることを知った。その背景にあるのは、グローバルを見据え、真摯にプロダクトの精度を高める姿勢だった。(武井)