SOFTHYPHENとして再始動した吉井雄一の現在地
2023.01.23

MISTERGENTLEMAN、そして盟友 オオスミタケシ への想いも語る




Edit&Text by Yukihisa Takei(HONEYEE.COM)
Photo by TAWARA(MagNese)


2021年1月、人気ブランドMISTERGENTLEMANのデザイナーであったオオスミタケシが急逝、その突然の別れには多くの人が驚き、悲しんだ。しかし誰よりもその不在を重く受け止めたのは、同ブランドの共同デザイナーであった吉井雄一だろう。

大きな失意の中でも吉井は、わずか2ヶ月後に予定されていたランウェイコレクションを完遂し、そのブランドを引き継いでいくことを決意。2022年4月にブランド名をSOFTHYPHEN へと改称し、新たなスタートを切った。

オオスミの逝去から約2年後の2022年12月末、吉井の長年の聖地である東京・青山のPARIYA2階にSOFTHYPHENの直営店としてSOFTHYPHEN ”THE HOUSE” をリニューアルオープンさせた。

今回、約2年間メディアからの取材に沈黙を続けた吉井がHONEYEE.COMのインタビューに応じてくれた。あの時、どんなことが起こっていたのか、そしていまどこに向かおうとしているのか。多くの人を勇気づける、2023年初のロングインタビュー。



“稀代の目利き”の行動力

SOFTHYPHEN 吉井雄一

吉井雄一という名前が東京のファッションシーンに知れ渡ったのは2000年初頭だ。現在も続く人気デリカテッセンPARIYAのオーナーだった人物が、LOUIS VITTON の手がけるセレクトショップ CELUX のディレクターに就任したというニュースはファッション界を駆け巡り、その後は先鋭的セレクトショップのLOVELESSのクリエイティブ・ディレクター、そしてGOYARDのジャパンブランディングディレクターとしても活躍。2008年には自身のセレクトショップである THE CONTEMPORARY FIX をオープンさせた。

THE CONTEMPORARY FIX は当時力をつけ始めた優れたインディペンデントな東京ブランドを多数ピックアップ。そこには、PHENOMENONFACETASMC.EsoeSasquatchfabrix.、WHIZLIMITEDDISCOVEREDなど、現在も活躍するブランドの数々が名を連ねた。それらは当時も人気ブランドではあったが、目利きとしてその名が広まっていた吉井がピックアップすることで、メインフィールドに躍り出るような印象が強かった。

吉井へのインタビューは、当時なぜあのようなブランドをピックアップしたのか。その目利き力についてたずねることからスタートした。

吉井 : 何か狙ってやっていたわけではないですが、彼らのブランドはあの時代の東京の空気感を表現できていると感じたんですね。ハッとさせられるような、予測できない面白さがあるところに単純にときめいたというか。

― その流れはVERSUS TOKYO東京ファッションウィークの中で2011年より開催された一般参加型のファッションショーイベント。吉井がディレクションを務めた)に繋がりましたね。

吉井 : ファッションウィークの方から声をかけられたのがきっかけですが、それなら過去に見たことがないもの、そしてみんなが共感してくれることをやりたいと思ったんですね。あれは音楽で言えばフェスです。ステージがいくつかあって、立て続けにショーがある。それを1日で見せることを考えついて、やってみたら面白かった。フェスは音楽ではあったことだけど、ファッションにはなかったんです。

― 非常にパワーのある、注目度も高いイベントでしたが、なぜ継続されなかったのでしょうか。

吉井 : たくさんの方に興味を持ってもらえたのは嬉しかったんですが、このイベントを現実に着地させるための労力がものすごくエグいんですよ(笑)。普段はショーをやらないブランドを中心にお声がけしていたのですが、そういう人たちはファッションウィークの中で何かやることに対してどこかアンチに考えている人もいました。でも彼らの中の「汚れた歴史」にはしたくないから、VERSUSのコンセプトを丁寧に説明して、彼らがやりたいことをなるべく達成させてあげたいと思ってかけずり回る。メインとなる他の業務もある中でこれをやると、その数ヶ月はそこにかかりっきりになってしまうので、ハード過ぎたっていうのはちょっとありました。



オオスミタケシとの共鳴

SOFTHYPHEN 吉井雄一 MISTERGENTLEMAN オオスミタケシ

MISTERGENTLEMANの共同デザイナー オオスミタケシ。2021年1月に急逝。 Photo : Keiichi Nitta(OTA OFFICE)

― 2012年にはオオスミさんと一緒にMISTERGENTLEMAN をスタートさせます。オオスミさんとはどのように出会ったのですか?

吉井 : それはPHENOMENON のファーストコレクションです。あれを見て衝撃を受けて、展示会にすっ飛んで行きました。音楽でも時々ありますが、傑作が生まれる瞬間というか、歴史が変わるくらいの節目を感じて、とにかく会わなきゃいけないと。そしたら彼も「僕も会いたかったんです」と言ってくれて。

― すぐに一緒にブランドをやろうというお話になったのですか?

吉井 : いえ、その頃ちょうど水面下で、自分ひとりでブランドをやろうと考えていたんです。彼とご飯に行った時に、「実はこういうブランドをやろうと考えてる」と話をしたら、「それならこうしたりすると楽しいですよね」とアイデアを出してくれて。それがまったく自分が考えていないことばかりを言うものだから、「じゃあ一緒にやらない?」と言ったら「え、やりたい」と。もうノリですよね。

― MISTERGENTLEMANが出てきた時、そのクリエイションが少し意外でした。吉井さんのそれまでの目利き、そしてオオスミさんがPHENOMENON で作られていたものからすると、もっとバキバキなものが出て来ると思いきや、ベーシックな印象のものが多くて。

吉井 : きっと人は意外に感じるだろうと思っていたし、そこも面白いとは思っていましたが、あれは当時の二人の私服に近いものなんです。オオスミさんもハードなストリートのイメージがありますけど、彼もちょうど服の方向性が移行していた時期でした。若い頃から自分はあまり親友と呼べる人がずっといなくて何十年も生きて来たんですけど、40歳になって突如親友と呼べる人が人生に出現して、感性も近くて、そのノリでやったという感じでしたね。服を一緒に作りたくてブランドを始めたのか、一緒にいる時間を増やしたくてブランドを始めたのかどっちだったっけって感じもありますけど(笑)。

― 吉井さんとオオスミさんがもっとも共鳴した部分は何だったのですか。

吉井 : それは最初から最後までとにかく音楽です。自分は彼のヒップホップ時代(※SHAKKAZOMBIE | オオスミタケシもBIG-Oとして活躍)はほとんど知らないですけど、ある時彼がヘッドホンをしていたから、「いま何聴いてるの?」と。当時WILD NOTHINGというインディペンデント・チルウェーブの流れにあるバンドがいたのですが、それを聴いてると。自分も少し前からそのバンドを聴いていたのですが、当時の東京でそのアルバム聴いていたのは、たぶん自分たちくらいですよ。だから「うわー、この風貌でこれ聞いてんだ、すげえな」と(笑)。そこで繋がれるものを感じたんですね。

SOFTHYPHEN 吉井雄一

 お互いファッションも好きで、さらにこの音楽も好きだったら感覚も合うと。

吉井 : お互いの共通項を探すときって、食べ物の人やスポーツの人もいますけど、それが彼も自分もひたすら音楽でしたね。

― ファッションでもDOLCE & GABBANA とか VICTOR & ROLF などのユニットデザイナーはいますが、比較的珍しいですよね。どんなに仲が良くても、バンド解散みたいな危機はなかったのでしょうか。

吉井 : いやもうケンカはものすごかったですよ(笑)。特に初期は。同じファッションとはいえまったく違うところから集まっているし、お互い妥協をしないのでもう日々が異種格闘技ですよね(笑)。最初にアイデアを出した方がデザイン責任者で、キャッチボールをしながら作るのですが、意見が分かれたりすると大声出してケンカ。ドアの向こうで聞いてるスタッフとかひたすら沈黙ですよ(笑)。でも絶対的な信頼をもとにしているので、決裂することはなかったですね。翌日にはケロッとしてる感じで。自分たちは3年もやれば上出来だと思っていましたが、結局彼が亡くなるまで10年続いたという。



突然の別れと次に進むための改行

SOFTHYPHEN 吉井雄一

― お答えにくいかもしれないのですが、オオスミさんが亡くなったあの時期、どのような状況だったのでしょうか。

吉井 : 2021年の1月に亡くなっているのですが、実は後半3年くらいは調子が良い時と悪い時が続いていたんです。ただ、亡くなる時は別の原因で入院していたので、朝病院から電話がかかってきてびっくりして。財布とスマホつかんで家を飛び出したんですけど、あの日の衝撃は今でもずっと昨日のことのように心と頭の中を大きく支配しています。

― 本当に突然だったのですね。あの当時、吉井さんはどんなご心境だったのですか?

吉井 : 3月のショーは前から決まっていたので、彼は病院でもデザインを全部終わらせてサンプルが上がってくるのを待っている状況でしたが、中止するかどうかはものすごく悩みました。でも、あの瞬間に彼が作ったものを世に出さなければいけないという使命感と、きちんとみなさんに対してお別れをしなければいけないと考えて、ショーはやることにしました。自分もそれこそ生きて来て、何回かは衝撃的なことはあったのですが、あれを超えるものはこの先ないだろうなと思うぐらいの3ヶ月でしたね。今でも毎朝ベッドから起き上がる時一番最初にすることは、彼がいないことが現実なのか夢なのかを確認するところから始まってて。いないことが今の現実なんだと改めて認識してから1日が始まるという日々がもう2年近く続いています。

― そして2022年にSOFTHYPHENに改称されましたが、その前からお二人の中でブランド名変更の話も出ていたとお聞きしました。

吉井 : その頃オオスミさんとも「もうすぐ10年になるね」と話をしている中で、名称変更の話はしていたんです。10年の中で時代も変化し、ジェンダーの問題とかも変わりつつある中で、自分たちはそこら辺の意識については他の誰よりも敏感に生きてきたつもりなんですね。「その自分たちが“MISTERGENTLEMAN”ってどうなんだろうね」と。だから二人の中では名前も決まってて、切り替える予定だったんです。SOFTHYPHENとは別の名前で。ただ彼と僕のとてもパーソナルなところから由来する名前だったのでそれは取りやめました。そして10年も続けてきたブランド名を変えるという自分のわがままを受け入れてくれた会社(マッシュグループ)に対しても感謝しています。

SOFTHYPHEN 吉井雄一

― SOFTHYPHEN はプログラミング記号で、「改行」を意味されるということですよね。

吉井 : たまたま出会った単語ですけど、プログラミングなどにおいて「次に繋げるために改行を指示する記号」を指します。MISTERGENTLEMANは改行してSOFTHYPHENとして継続していきます、という意味を込めています。MISTERGENTLEMANの最後のショーが終わった時は心も身体も消耗し切ってて、近藤さん(マッシュホールディングス代表取締役社長)から「しばらくの間休むように」と言われて、人生で初めて3ヶ月くらいお休みを頂いたんです。その間ずっとブランドを続けるか続けないか迷っていて。音楽でも2人組のうち1人が欠けたら当然ソロになるわけですよ。でもMISTERGENTLEMANは我々二人だけじゃなくブランドの立ち上げからずっといてくれる社内スタッフが何人もいて。彼らも含めてのチームでもあったので、音楽でもそういう例はないかなと考えて思い出したのがJOY DIVISION(※ 1976年結成のイギリスのバンド。イアン・カーティスの逝去により1980年に解散)でした。

― おお。それはなぜですか?

吉井 : イアン・カーティスが亡くなって、残ったメンバーは音楽の方向性も変えてNEW ORDERを始めて、それなりに新しい一つの形を作りましたよね。

― そうですね。確かに成功例のひとつです。

吉井 : まあオオスミさんはイアン・カーティスとはまったくルックスも違うんですけど(笑)。ただ、ブランドを継続する気持ちになったとしても、オオスミさんはもうこの世にいないのに、オオスミさんがいるかのようなクリエイションはしたくないと考えるようになったんです。方向性は違えど、このチームで作っていく。ただし、新しいブランドではなくて「継続しているんだ」という気持ちをブランド名に込める意味でこの単語をブランド名にしたんです。商品の品番がミスター時代から継続してMGから始まってるのは内輪ウケでもあり、前からのお客さまへの気持ち、そしてこれからの志を表してもいます。



スーパーハードワーカー、吉井雄一の原動力

SOFTHYPHEN 吉井雄一

― SOFTHYPHENになって以降、どういう人に着てもらいたいと考えて作られていますか。あるいはクリエイション優先なのか。

吉井 : それで言うとクリエイション優先ですね。好きと思ってくれた人が自由に着てもらえればそれが最高なことです。そういえばこのブランドでは春夏、秋冬というシーズンをなくしちゃったんです。それを数字で01、02にして、今がシーズン02です。

SOFTHYPHEN 吉井雄一

― その背景には何があるのでしょう。

吉井 : 主には気候変動によるものなんですが、これまでだと例えば7月に秋冬ものが店頭で立ち上がる。で、その夏物が一番売れる時期にセールが始まる。これ、せっかく定価で買った人は、そんなに早くセールになってどういう気持ちなんだろうと。ビジネス的に考えてもおかしい。継続するにしても、これまで引っかかっていたモヤモヤしてたことは全て切り替えたかったので、まずはシーズンを廃止にしたんですね。そのまま勢いでジェンダーレスにもしちゃったんですけど。

― 安易にセールをしないブランドも増えていますが、やはり商慣習は根強いですよね。

吉井 : だからSOFTHYPHENはシーズン01、02、そして次は03ですけど、半年単位とかでは区切っていなくて、時には3ヶ月かもしれないし、逆にもっと長いかもしれない。ルーティンではない形で、自分たちが楽しみながら作りたいと思っています。これだけ気候変動が激しい中で半年っていう区切りすら意味がなくなってきてると思ったりもしています。

― 音楽音源のリリースみたいな感じですね。アルバムに挟んでシングルEPを配信したり。

吉井 : はい、近いかもですね。究極の理想はそれですよ。なかなか難しいですけど(笑)。

― いまデザインはすべて吉井さんがされているのですか?

吉井 : そうですね。僕がデザインをして、チームでそれを形にしていく。シーズン100型以上あるから大変です。オオスミさんがいたときは半々でしたから。ほんとアイツのせいで負担倍増ですよね(笑)。

SOFTHYPHEN 吉井雄一

― (笑)。そして今回、このPARIYA2階が SOFTHYPHEN “THE HOUSE“としてリニューアルされました。いただいたリリースに「都市型デスティネーション・ストア」と書かれていたので親近感が沸きました。

吉井 : HONEYEE.COMの連載がすごくいい言葉だなと思って、いただきました(笑)。

― 光栄です。目的地になるお店ですよね。“HOUSE”というコンセプトはどこから来たのですか?

吉井 : この物件はもう22年借りているんですけど……と言いながら自分で驚きました。22年も家賃払ってるのか!(笑)。ここは元々家だったんです。だから建物の構造を生かしながら、巡り巡って元の“HOUSE”に戻したという。家のような作りの空間にSOFTHYPHENの服やWAVEのアイテム、それから自分がセレクトしたものを置いています。

SOFTHYPHEN 吉井雄一

― 1階は吉井さんのPARIYAですし、もうここは吉井さんのHOUSE”ですね。PARIYAのメニューもまだ吉井さんが考案されているとお聞きしたのですが、本当ですか?

吉井 : 今年でPARIYAは27年目を迎えますけど、毎週デリのメニューは変えていますし、今も毎週自分が考えています。

― 27年間毎週メニュー考えるって、凄過ぎますよ。

吉井 : 自分で考えても衝撃ですよ。一週間って何でこんなに早いのって思います(笑)。自分は昔からフードとファッションをやっていますけど、昔だったらファッションを志すタイプの若い世代が、むしろ今はフードで活躍するケースが増えていますよね。今はフードの方がファッションよりも自由度があると感じるからだと思います。自分も近年、よりその感覚は混ざってきている気がしますね。

SOFTHYPHEN 吉井雄一

― その継続性もさることながら、これまでも絶え間なくさまざまなプロジェクトを手掛けて、ブランドの再始動にデザイン、そしてPARIYAも拡大させている。吉井さんのその常軌を逸したパワーの原動力は何でしょうか。

吉井 : 何でしょうね。当たり前にプライドはありますが、それがあるから長く続けて来られたのか、続けたからプライドが生まれたのか。でも上手く行かない時もしょっちゅうあるし。それこそ誰もがコロナで辛い何年間を過ごしていますよね。だからすごくベタな答えになっちゃいますけど、「そんな中でも期待してくれるお客さま」の存在かもしれません。そこにお応えしないといけないというのが大きいかも。

― 重みがあります。

吉井 : そして「期待に応える」というのは、ずっと同じことをし続けていることじゃなくて、時代にちゃんと寄り添う必要があるんですね。自分を貫き続けるのは人生で大事なことでもあるんですが、変化しなければいけないときには変化しなくちゃいけない。この3年間の世の中の状況だけ見ても、それに変化対応出来なければどんどん崖から落とされていくような感覚がありますよね。そんな中でも必要と思っていただけてるのであれば、全力で応えていかないとバチが当たりそうだから必死に走ってるっていうのもありますね(笑)。



SOFTHYPHEN 吉井雄一

Profile

吉井雄一 Yuichi Yoshii

1996年に青山にデリカテッセンのPARIYA をオープン。1999年にLOUIS VITTON の手がけるセレクトショップCELUX のディレクターに就任。2004年LOVELESSのクリエイティブ・ディレクターとして立ち上げに尽力し、GOYARDのジャパンブランディングディレクターとしても活躍。2008年に自身のセレクトショップである THE CONTEMPORARY FIX をオープン。 2011年に東京ファッションウィークのオフィシャルイベントVERSUS TOKYOのディレクターとしても辣腕を振るう。2012年にオオスミタケシとともにMISTERGENTLEMANをスタート。2021年のオオスミタケシの急逝を受け、2022年にSOFTHYPHENとして再始動した。

https://www.softhyphen.tokyo
https://www.instagram.com/softhyphen/

[編集後記]
オオスミさんのご逝去以来、吉井さんに取材のお声がけをするのは難しかった。当然気持ちを察することもできたし、静かに進んでいる印象もあったからだ。ただ今回、SOFTHYPHEN“THE HOUSE“のオープン取材のお声がけをいただいて、無理もとで吉井さんへの取材を打診したところ、快諾いただいた。そのブランド名に込められた想いそのまま、吉井さんが”改行して次に進む“気持ちを感じることのできた取材となった。「続ける困難」に立ち向かっている人にもぜひ読んでいただきたい。(武井)