RK インタビュー 写真が生んだ奇跡の軌跡
2023.02.22

東京ストリートから現れたフォトグラファーのトリックスター的半生




Edit&Text by Yukihisa Takei(HONEYEE.COM)
Photo by TAWARA(MagNese)


RKという写真家のクレジットを随所で目にするようになったのは、2020年頃だ。メディアの仕事なので、ある程度ファッション関連のフォトグラファーにも敏感であったはずだが、そのRKのインスタグラムのフォロワー数を見ると、既にとんでもない数字になっていた(2023年2月現在では77万人)。

「突然現れたこのRKというフォトグラファーは何者?」と調べてみると、誰かのところで修行したカメラマンではなく、インスタグラムで火がついた写真家であること。その写真は誰もが思わずスクロールの手を止めるような驚きに満ちたものであること。そして特に東京ストリートやアート界隈でも注目の存在であることなどが断片的に分かってきた。

RK、本名は小菅亮輔。2022年の暮れに、とあるイベントでこの謎めいた写真家にコンタクトすることができた。そして今回は都内にあるRKのアトリエでのインタビューに成功。その紆余曲折の半生、写真家になったきっかけ、クリエイティブの源泉と現在の活動、そして現在の苦悩についてまで話を聞くことができた。



ファッションと音楽に魅せられた野球少年

RK カメラマン Photographer

RKのアトリエは写真家のそれというよりも、海外のアーティストやストリート愛好家の部屋のようだった。ストリートアート作品やプレミアムなスニーカー、洋服が部屋中に置かれ、ターンテーブルがあり、デスクのある部屋の壁はさまざまなフライヤーやポスター、メッセージカードで埋め尽くされていた。そしてテーブルの上には灰皿が置かれた、いわゆる“男の部屋”。ここで暮らし、創作活動の拠点にもしている。

今回はRKという人物を紐解くべく、これまでの半生について聞きたいと切り出すと、「人生まで行っちゃいますか(笑)」と笑いながらも、話し始めてくれた。

「生まれたのは茨城県の古河のあたりで、小学校1年から高校3年まで9年間無遅刻無欠席の皆勤賞です。小学校から野球を始めて、高校では甲子園まで出てベスト4まで行きました。プロ野球選手になる夢もあったけど、高校時代にその夢はヘシ折られました」

とまで聞けば、どこにでもいそうな健康スポーツ少年の話だが、RKの場合は少し違った。「子供の頃からファッションが好きで、小5で代官山まで買い物に行ったり、中学の頃の裏原全盛期には原宿のNOWHEREにも並んでいました。スケボーも夢中でやっていたし、中学の頃からターンテーブルでHIP HOPのDJをやっていたりしていたので、地元はダサいな、なんでオレこんなところにいるんだろうと思っていましたね」

RK カメラマン Photographer

高校卒業でプロ野球選手の夢を諦めると、前から興味のあったファッションの世界に進むべく、文化服装学院に入学。

「当時から『ASAYAN』や『Smart』、NIGO®さんとJONIO(髙橋盾)さんの『LAST ORGY2』も読んでいたし、行くなら文化でしょ、と思って入りました。でも授業は全然役に立たなくて、夜はクラブ通い。当時憧れのLONDON NITE(※) に通っていたら、スタッフとして手伝うことになったんですよ」 

※LONDON NITE…新宿の「ツバキハウス」で始まった伝説のクラブイベント。DJの大貫憲章が主催し、藤原ヒロシや髙橋盾も駆けつけたことで知られている。

RK カメラマン Photographer

LONDON NITEで繋がりを得たDJの師匠に「お前はスタイリストになりたいのか、DJになりたいのか、どっちなんだ」と2択を迫られ、迷いながらも「DJです」と答えたところからRKの人生は変わり始める。

「当時は茨城から通っていたので、師匠の西麻布の事務所に住み込みになりました。厳しかったし、怖かったし(笑)、辛かったですが、楽しかったんですよね。クラブのノウハウも教えてもらって、LONDON NITEではパワーポップ、六本木のSONORAというハコではディスコやハウスを教えてもらって、DJ修行を3年くらいやりました」

しかし後半でメンタルに不調をきたし、茨城に帰郷。音楽やファッションとは距離を置き、工場で働きながら新婚生活を始めたという。しかし数年経つと、体調の復調とともに、都内でのDJの誘いなどを受けるようになり、東京との行き来をする生活がスタート。東京で職を得て、都内での生活を再開する決心をする。



AVメーカーに就職、ランニングをきっかけにiPhone写真家に

100社以上の会社を受けてRKが東京で得た仕事、それはAVメーカーの社員としてパッケージをデザインする仕事だった。

「PhotoshopやIllustratorを使う仕事に就きたかったけど実務経験がなかったので、唯一入れたのがAVの会社。好条件だし、全然ブラックじゃない優良企業だったので、夜はDJも出来るし、撮影にも行けるいい環境でしたね。今の仕事に繋がったこと? フォトショで女の子の肌をキレイにしたり、顔を変形させたりすることができるようになったくらい。あとは面白い話がいっぱい聞けたことかな(笑)」

しかしこの仕事が現在のRKに繋がる行動のきっかけになっているのだから、人生何が転機になるか分からない。

「デスクワークが続いて太ったのでダイエットしたくて、前から野球を通じて知り合いだったDKJ(※)さんがNIKEとやってるランニングクルーのAFE(Athletic Far East)に参加させてもらうようになりました。走るだけじゃなく、色んな人がいて刺激的で楽しかったですが、そこでDKJさんから『お前も毎週来るんだったら、何かやれ』と言われて、iPhoneでAFEの写真を撮り始めたんです」

※平野淳。Balabushka Remnantsなどのブランドを手掛けるデザイナー。現在はゴルフのプロジェクトなどに携わる。

AFEはプロフェッショナルなランニング集団でもなく、あくまで趣味の範疇でランニングしている人が参加しているものだが、その“オフィシャルフォトグラファー”の依頼にRKは燃えた。

RK カメラマン Photographer 写真

Photo by RK (@rkrkrk)

「当時は何者でもない自分だったし、AFEの撮影はめちゃくちゃプレッシャーでした。ギャラが出るわけじゃないけどNIKEがやっているものだし、僕が憧れる裏原の先輩方も見るかもしれない。海外のチームと一緒にランニングすれば、韓国やロンドンの人も僕の写真を見る。一眼レフのカメラなんて使えないし、ランニングの延長で撮影するので、機動性のあるiPhone撮影にこだわりました。iPhoneで完結させて、どれだけカッコよく撮って、人を唸らせられるかに夢中でしたね」



新鋭写真家、インスタグラムでバズを生む

RK カメラマン Photographer

iPhoneで撮影したAFEの写真は評判を呼び、RKには撮影の仕事も舞い込むようになる。ところが紙媒体からの依頼に対して「カメラは使わず、iPhoneで撮影したい」と伝えると、画質の問題などから実現しなかった。

「もうそれならデジカメを買うしかないと思って手に入れたのが、SONYのデジタル一眼です。ただ、そこからが地獄でした。何しろISOって何?だし、F値も分からない、ファインダーから構図も作れない。RAWデータから“自分の色”を作れるようになるまで、1年間はマジでノイローゼでしたね。ずっと1人で研究に没頭していました」

その孤軍奮闘の成果もあり、RKの写真は再び劇的な進化を遂げる。中でも大きなバズを生んだのが、秋葉原の電気部品屋と店主を撮影した一枚と、富士山をバックにした商店街に白い服を着た女性が歩く写真だ。ともにRKの特徴ともされる“密集感”や奥行きの違和感があり、美しさも感じる写真は瞬く間に世界へと広がった。

RK カメラマン Photographer 写真

Photo by RK (@rkrkrk)

RK カメラマン Photographer 写真

Photo by RK (@rkrkrk)

「秋葉原の写真は別の撮影している時に偶然出会った場所ですが、富士山の写真は『ここ、いいな』と思ってから撮るまでに3年かけています。天気や光、富士山の見え具合、そこにモデルの女の子を歩かせるというアイデアがハマるまで待ち続けて。完璧な状態にならないと絶対出したくなかったし」

その頃からRKの元には本格的に撮影の仕事が舞い込むようになる。最初に大きな仕事になったのはMaison MIHARA YASUHIRO石川涼によるFR2などの有名ファッションブランド。そして下野宏明WHIZLIMITEDからパリでの撮影を依頼されたことをきっかけにAVメーカーを退社し、本格的に写真家としての活動もスタートした。



バズる写真=良い写真というわけではない

なぜRKはそれほどまでに写真に熱中することができたのか? そこを本人に聞くと、「やはり自分の中の承認欲求だ」と答えた。

「僕はSNSから出てきたので、その存在は大きいです。自分で撮って、自分で編集して、ポストすればすぐに反応が返ってくる。それが日本だけじゃなくて、世界中から反応があるわけですよ。元々海外志向なところもあったし、『なんだこれは?』と思って、どんどん写真にもハマっていったんですよね」

スマートフォンの登場により、爆発的に写真を撮る人が増え、かつて以上に日常に写真が密接なこの時代。プロのカメラマンですらその職業的な危機感を抱えている時代に、なぜRKの写真はこれほどまでに受けたのか。そこも本人に聞いてみると、冷静な答えが返ってきた。

「それはインパクトだと思います。今の時代はみんながスマートフォンで写真を見る、タテでスクロールをする、そのコンマ何秒に、手が止まるような分かりやすい写真を載せられるか。ただしバズった写真がいい写真でもないとも思っています。もしかしたら写真としてはクソかもしれない。でも、僕にはやっぱり承認欲求があるし、これで食って行こうと思って一生懸命頑張っただけです」



RKが見る東京ストリート

RK カメラマン 

RKは現在、日本だけでなく世界のストリートシーンやアートシーンとの交流を深めている。中でも現代美術家の村上隆との出会いのエピソードはSNS時代の今らしいものだ。

「3年くらい前に香港のALL RIGHTS RESERVEDとの仕事で、アメリカで開催されたKAWS HOLIDAYを撮影していた時ですが、現地のキッズに囲まれたんです。『お前日本人の写真家か。インスタ見せてみろ』と。するとその中の1人が、『お前……、ムラカミにフォローされているぞ』と教えてくれたんです。『えっ?!』ってすぐにフォロー返したら、DMが来て『今度香港で個展があるので、もし良かったら力を貸してください』と。最初は偽物かと思ったくらい驚きましたね(笑)」

現在も村上隆の撮影には国内外に同行し、その関係性は継続している。東京のストリートにどっぷりと浸かった半生を送り、現在はそのシーンから生まれた写真家として、世界にまでその名が広まったRKに、現在の東京ストリートをどう見ているのかを聞いた。

「海外のHYPE FESTやCOMPLEX CON、エディソン・チェンがやっているINNERSECTなんかに行くと分かるんですけど、もう日本のブランドばっかりなんですよ。これ全部東京で買えるじゃんというものばかり。それだけ日本の裏原カルチャーは世界に多大なる影響を与えているんですよね。自分がそういう中にいる自覚はないけど、もしそう見えているんだとしたら嬉しいですよ。ずっとそこに憧れて来たんですから」



模倣と自己模倣との戦い

RK カメラマン Photographer

RKに、今、撮影したいものは? と尋ねると、「コロナで行きたくても行けなかった場所がたくさんあるんで、まずはその回収ですよね。とりあえず中国には行きたいと思っています」と答えてくれた。

ただ、取材時にRKは「実はもう数ヶ月作品が撮れていない」と打ち明けてくれた。その理由は個人的なものもあるが、RK風の撮影を頻繁に真似されていることを受けて、次なるスタイルを模索している最中だからだと言う。

「どうせ撮ってもまた真似されるというイタチごっこに嫌気が刺したんです。僕の感覚では全く同じ構図で同じ写真を、さも自分が見つけたかのように撮るその文化って一体何なの? と思うんですが、今の人たちはそれがOKなのかもしれない。気持ち悪いし、それで喧嘩になったヤツもいっぱいいるんです。さっきの『バズった写真=良い写真とは限らない』という話で言えば、次は別にバズらなくてもいいから、誰にも真似されない、自分のオリジナルを見つけたいなと」

RKが写真を志し、世界にも知られる人気写真家になるまでに要したルートや時間は、一般的な写真家よりも短いかもしれない。しかしその爆速の時間の流れの中で、超密度でクリエイティブを磨き上げてきたRKは、さらなる高みを目指して苦悩しているようにも見えた。

RKが次に踏み出すのは、どのようなスタイルなのか。そこには奇しくもRKが「いつも村上隆から言われる」と教えてくれた言葉が符合する。

「村上さんにはいつも言われるんですよ。『あなたはカメラマンじゃなくて、アーティストなんだ』って」

RKが次にクリエイトするのは、もしかすると写真ですらないかもしれない。破壊と想像。そんなトリックスター的な期待感こそ、RKが多くのクリエイターからも支持される理由なのだろう。



Profile
RK | Ryosuke Kosuge

1982年茨城県生まれ。野球少年として過ごし、強豪校で甲子園ベスト4にも進出。高校卒業後は文化服装学院に通う傍ら、DJとしての活動もスタート。その後は郷里に戻るなどの時間を経て、再度東京で就職。NIKEのランニングチームAFEへの参加をきっかけに写真活動をスタートし、インスタグラムを中心に世界的に知られる存在に。現在も作家活動と並行して、ファッション写真やイベントの写真などで幅広く活動している。
https://www.rkrkrk.tokyo
https://www.instagram.com/rkrkrk/
https://weibo.com/u/6804248986

[編集後記]
ここ数年、「RKって知ってます?」という会話が何度も続いた。共通の知り合いはいるものの、知遇を得られたのは最近のことだ。仕事でもさまざまな写真家とはご一緒するが、通常は写真学校や誰かのアシスタントから這い上がってくる人が多い。そんな中でRKの登場は異色で、まさに“東京ストリートドリーム”そのものだ。実際に話をしたRKは、紆余曲折の半生ながら、クリエイティブに対する没頭や集中はまさにアーティスト。次なるスタイル、そしてこの先もどんな活躍を繰り広げるのか注視していきたい。(武井)