“見たことのある、見たことのない服”を創る30歳のこれまでとこれから
Edit&Text by Yukihisa Takei(HONEYEE.COM)
Portraits by TAWARA(magNese)
この数年“日本ブランド若手筆頭株”としてさまざまな場所で名前が挙がり、実際今年8月のFASHION PRIZE OF TOKYO 2024 のグランプリを獲得したのが、M A S U (エムエーエスユー)だ。これまでもMame Kurogouchi、AURALEE、TAAKK、CFCL、TOMO KOIZUMI など、その後の活躍も目覚ましい数々のブランドに続く快挙となる。また2024秋冬/春夏シーズンの計2回、パリ ファッション・ウィーク中のショーとショールームイベントのサポートも副賞となっているため、いよいよM A S U は本格的に世界に進出することになる。
M A S U は2017SSシーズンにmasu (マス)という名称でスタートしているが、2018AWシーズンに当時25歳の若きデザイナー・後藤愼平にバトンタッチしたタイミングで、綴りを大文字にし、読み方を“エムエーエスユー”に変更して、リブランディングしての再スタートを切った。そこから間も無くファッションキュレーターの小木“Poggy”基文や大手セレクトショップのバイヤーなどファッションの目利きたちがこぞって注目し、わずか数年で東京のトップブランドへと成長を遂げた。
M A S U のファッション表現は、若手デザイナーながらストリートに根ざしているものではなく、ヴィンテージウェアの再解釈がベースになっている。ヴィンテージをそのまま再現するのではなく、エッセンスとして取り入れているため、説教めいたものは皆無でありながら新鮮なデザインを展開。それが20代を中心としたファッションフリークたちに刺さり、現在はその裾野を上下の世代に広げている。
移転拡大した新しいアトリエで、明晰かつ穏やかにこちらの問いに応える1992年生まれのニューホープ、後藤愼平に話を聞いた。
ヴィンテージウェアとの出会い、傾倒
― ファッションに目覚めたのはどういうタイミングだったのですか?
後藤 : 僕はすごいおばあちゃん子で、小学校低学年の頃に祖母のクローゼットに侵入して、変な柄のスカーフとかを巻いたりして遊んでいたんです。いま思うとそれが服を好きになった原点のような気がします。小学校の頃には自分で選んだ服しか着たくなくなって、中学の頃には野外学習で着る服のイメージを自分で考えて絵を描いて、地元のジーンズチェーン店や古着屋、というかリサイクルショップで服を買って、自分でダメージを入れたりして。もうその頃にはデザイナーになりたい、と考えるようになっていましたね。
― ヴィンテージウェアに出会ったのもその頃ですか?
後藤 : 兄が持っていた『Men’s egg(メンズエッグ)』というギャル男雑誌を盗み見してたのですが(笑)、ギャル男カルチャーの中には割とアメカジ、ヴィンテージが好きな人もいたんです。RED WINGだったりGORO’Sを買ったり。そういう中でレザークラフトいいなと思い始めて、自分で財布やベルトを作るようになりました。雑誌に出ていた人のセレクトショップが扱っていたのが、今もLAを拠点にしているA LOVE MOVEMENTという、カシミヤのセーターをバラしてジャージにしたりしているブランドで、高くて新品は全然買えないけど、ネットで探して買ったりするようになりました。LAのMaxfield(マックスフィールド)みたいな雰囲気と言えばいいですかね。
― でもMaxfieldの雰囲気と、後藤さんが今作っているものって少し違いますよね。
後藤 : 僕は割と近いとは勝手に思ってて。3年前くらいにヴィンテージベースというか、アメカジとかを新しく見せるというのを意識するようになったのですが、世界に進出した日本のデザイナーの傾向を見ていると、例えばCOMME des GARÇONSのようなアヴァンギャルドな路線は既にあるけど、これから世界に通用するのは日本のアメカジカルチャー、ヴィンテージカルチャーだなと考えたんです。ヴィンテージジーンズに価値を持たせたのは日本人だし、それこそNIGO®さんや藤原ヒロシさんが世界に影響を与えている文脈があるという気づきがあったので。“ザ・アメカジ”を違うアプローチで作ったコレクションは2022年の秋冬ですが、その辺からやたらとアメリカ人からリアクションが増えたので、自然とそのMaxfield的雰囲気が出ているんじゃないかと思います。
M A S U 2023AW コレクションより
― LAILA Vintageに入社したのもやはりヴィンテージ好きだったからですか?
後藤 : 高校生の頃からLevi’s®のベルボトムの646とか買っていましたけど、ヴィンテージを色々調べていたら、僕は70年代のクラフトレザーが好きなんだと分かってきて。調べたらEAST WESTという伝説のレザーブランドがあるのですが、それをLAILAが死ぬほど持っていたので、「なんだこの店は」と。東京に行ったら絶対に行こうと思っていたのがLAILAでした。実際に行ったら、それだけじゃないブランドも沢山あって。
― EAST WESTは、今の時代だったらこんな作り方しないだろうという非効率とも言える凝った作りをしているブランドですよね。
後藤 : でもその頃はそんなに洋服のことを知識的には知らなかったので、本当に直感的にビビッと来たとしか言えないんですよね。「なんだ、これ。普通に今置いてある服とは違うぞ?」って。分かりやすく派手なものも多いので、そこに惹かれたのもあるとは思いますが、蓋を開けてみたらすごく難しいことをやっているんだって後に分かった感じです。
― M A S U をデザインすることになった時に、そういうヴィンテージの感覚を入れることは考えていたのですか?
後藤 : そうですね。masu 時代は“スポーツストリート”みたいなムードで、最初はそれを引き継いでやろうとも思ったんですけど、「いや、無理だな」と。当時はストリート全盛の時代でしたが、僕はそこをリアルに通ってきていないから、それを無理に汲み取ってやっても誰も面白がってくれないと思ったんです。やるなら自分にしかできないことというか、自分がやってきたことの道でやる方が絶対いいなと思って。
25歳でのデザイナーバトンタッチ
― 後藤さんが M A S U のデザイナーに就任したのは25歳の時ですよね。それはその会社的にはかなり大きな賭けだったとも思えるのですが、なぜ起用されたと思いますか?
後藤 : 今の社長とちゃんとコミュニケーションが取れる関係だった、というのもあると思います。僕は前の会社の時代にインハウスブランドの立ち上げから3年くらいやっていて、全部のことをやらないといけなかったから、服作り全般をそれなりにはできる人材になっていたんです。センスを買われたというより、スタートアップのブランドをある程度任せられる、というのはあったと思います。
― 冷静ですね(笑)。バトンタッチ時から現在のM A S U 像は思い描いていたのですか?
後藤 : 僕はそれこそEAST WESTみたいな、狭くて深いことをやりたいなと思っていたし、今でも思っているんです。でもそれって多分、もっと年齢重ねてからの方が説得力を持って出来ると思ったんですよね。狭くて深いのは後から出来ると思ったし、せっかくチャンスをもらって、中国・大連の縫製工場が協力している日本の会社という生産背景も揃ったいい環境なので、“濃くて強いものをどれだけ広く出来るか”のチャレンジをしようと決めたんです。
― 実際、理想的な環境ですよね。
後藤 : そうですね。始まったばかりのブランドだけだと苦しくて、やりたくないことをやらないといけないこともあったと思うんですけど、最初から純度高く出来たのは大きいと思います。ストリートな時代に全然関係ないアンティークっぽいことをやっていたので(笑)。普通は出来ないよなと思います。
― 若い世代はストリートからファッションに入る人が多いし、アメカジ好きな人はアメカジ方向にどっぷりハマっていく人が多い傾向がありますよね。M A S U はそういう点でも珍しい存在だと思うのですが、若い人たちから支持を受けたという体感はいつ頃ですか?
後藤 : 僕は商品説明文みたいなのを書いて各卸先のお店に送っているんですけど、それをどうもお客さんたちが読み込んでいるのを感じ始めたのが2020AWのコレクションの頃ですね。70年代アメリカのヴィンテージの手法を、素材を変えたりしながらやった“プリミティブ”というコレクションなのですが、その頃からSNSとかを通じて質問が来るようになったんですよ。「この時代のこれって……」みたいな。その上で「どういう想いで作っているんですか?」とか。僕もそんなに歳が離れていると思っていないけど、若い人でもこういう探求心があるんだって知ったんです。ネットでパパッと情報をキャッチして、オシャレっぽく見せられる時代なのに、ブランドのことを掘るというか、内側まで見ようとしてくれている感覚を感じて。
― それは嬉しいですよね。
後藤 : ヴィンテージを知らなくても、M A S U を通じてヴィンテージが好きになったりしてくれたらいいなと思いましたし、もちろん僕が直感的にEAST WESTにハマったように、全然知らなくても買ってもらえるものでありたいと思っているんですけど。
“見たことあるけど、見たことないもの”
― 小木("Poggy”基文)さんなどは割と早い段階からM A S U を評価していたと思うのですが、あの人はどういうところに惹かれたと話していたのですか。
後藤 : 「若い人にも刺さるよね、でも僕らも分かるよ」っていう感覚の話をした記憶はあります。僕はヴィンテージの話は、人と話す時の共通言語にもなるから好きなんです。「これはブルガリア軍のパジャマがベースで、それをレースの生地で作ったんですよ」とか。それは世代も関係なく、説明不要になるので。そういうところがPoggyさんにも刺さったんじゃないかなと思います。“見たことがない新しいもの”が好きな人たちもいますけど、“見たことあるけど、見たことないもの”っていうのは、僕も好きですし、Poggyさんとかも好きなんじゃないかと思います。
― “見たことあるけど、見たことないもの”って良い表現ですね。
後藤 : そうですね、それは割と大事にしているかもしれないです。
― 自分の中で発明だなと思うアイテムはありますか?
後藤 : やっぱりポップコーントップスですかね。それは別に存在していなかった服じゃないんです。レディースの古着屋さんでよく見ていた花柄のポップコーントップスがあって、めっちゃかわいいと思ったけど、男が着れるサイズでもないし、デザインでもない。そういうところを解放できるようにしたいなと思ったんです。最初はやつれたスウェットみたいなグラフィックをプリントしたポップコーントップスを出したら、ちゃんと響いてくれて。それは発明と言えるか分からないけど、同じような加工をするブランドさんとかも出てきて、こういうテクニックがまた世に出るのは良かったなって。その後古着屋さんでもよく見るようになりました。前はめちゃくちゃ安かったんですけど(笑)。
― スワロフスキーなど、割とキラッとしたものを入れるのも特徴ですね。
後藤 : そうですね、それも説明不要なものというか。誰もがぐっと来る感覚のようなものとして使っています。でも僕はカワイイものをカワイイまま作りたくないと思っているので、ジーンズに使ったりもします。最近、ウチの服好きな人ってどういう人なのかなって考えた時に、ジェンダーレスとかいう話ではなくて、多分「“優しい人たち”だな」って思うことがあって。例えば『トイ・ストーリー』を観て感動できる人たちというか。そういう人たちがついてきてくれているような気がしたんですね。
― 面白いですね。服のトライブ感の話ではなく、マインドの話ですもんね。
後藤 : 僕は分かりやすいデザインもするけど、例えば裏返したら花柄があったりするデザインも好きでやるんですね。そういう表からは見えないものに感動できる人って、多分優しい人だと思うんですよね。優しい人って、誰も見ていないようなことに気付けたりするじゃないですか。
― 後藤さん自身もそういう人ですか?
後藤 : いやあ、自分で優しい人って言えないです!(笑)。でも、ナイーブだし、人に言われたことは気にしちゃうし、人のこともよく見ちゃうタイプではありますね。ステレオタイプな人は「男は強くあれ」って言うけど、実際男は裏で泣いてたりするじゃないですか(笑)。男が持っているそういうかわいさっていうのは大事にしたいですね。
― 服にそういうものを込めているっていうのは面白いですね。
後藤 : 伝わっているのかわからないし、伝わらなくてもいいと思っていますけど。ただ、もうちょっとそれを可視化したようなショーなり、洋服なりっていうのは今は意識しているかもしれないです。
M A S U 2024SS コレクションより
パリコレ進出とこれから
― FASHION PRIZE OF TOKYO 2024のグランプリ受賞は後藤さんにとってどういうものでしたか?
後藤 : ブランドは小さなところから徐々に徐々に成長した感じだったのですが、ありがたいことにここ数年でいろんなところで評価してもらっていました。何かに評価されるという経験はなかったので、そういうのが必要なタイミングだとは思っていたんです。今回獲れなかったら次はないと思っていたので、いいタイミングで獲れたのかなと思いますね。パリでショーをやれるという支援内容も大きいので。お金の面もそうですけど、日本ってそういうチャンスがあまりないじゃないですか。だからありがたいし、これまで獲っているデザイナーも成功している人ばかりなので、それに恥じないようにというか、そこを超えられるようなブランドになっていければいいと思います。
― ついに来年1月にはパリですが、今はどんな心境ですか。
後藤 : でも、そんなに気負ってはいないというか。日本でやるのとは当然勝手も違いますが、パリだからどうこうっていうのを意識しすぎると良さが出ない気がするので。いつも通りというか、やっていることをもっと濃くできたらいいなと思っています。当然常にアップデートしていきたいのはあります。洋服のクオリティもそうですけど、ブランドのクオリティを上げるようなことができればなと考えていますね。
― 日本のメンズファッションは、近年なかなか若い世代で世界に行けるブランドが出てきていない現状があって、そういう中で後藤さんの存在は貴重だと思います。世代を引っ張っていくような感覚はありますか?
後藤 : 引っ張っていく感覚は全然ないですね。出来るだけ世代感でも括られたくないと思うし、気にしないでいたいというか、気にしない立ち位置でいたいです。パリの公式スケジュールに載ることが正解かといえば、必ずしもそうじゃないと思いますし、もっと自由な存在でありたいなと思います。でもその先に、「ブランドってこういうあり方でもいいんだ」っていう新しい存在になりたいなとは考えています。動きを縛られずに自由にやって、下の世代も上の世代もそれを見ていいなと思うような、そういう刺激のある存在になりたいですね。
Profile
後藤愼平 | Shinpei Goto
1992年生まれ、愛知県出身。2014年に文化服装学院アパレルデザイン科メンズデザインコース卒業。卒業後、メゾンブランドのヴィンテージを扱うLAILAに入社し、インハウスブランドの立ち上げメンバーとして企画・生産に携わる。2018年秋冬よりM A S U のデザイナーに就任。東京都と繊維ファッション産学協議会が主催するファッションコンペ、FASHION PRIZE OF TOKYO 2024のグランプリを受賞。
https://www.instagram.com/M A S U _officialaccount/
https://www.instagram.com/shinpei.goto/
[編集後記]
M A S U の名前はあちこちから聞こえていた。展示会にも何度かお邪魔しているが、マニアックな作りをしていたので、これほどのスピード感で浸透していったことは個人的には驚きがあった。後藤さんとは今回初めてちゃんとお話をした。冒頭にも描いたように、穏やかで明晰な話し方が印象的だった。一見するとM A S U の服は感覚的に作られているようにも見えるが、そこにはヴィンテージの知識と共に非常にロジカルな考えも反映されていることが今回の取材で理解することが出来た。これから本格的に世界に進出することになるが、どのように世界がM A S U を受け止めていくのか、非常に興味深い。(武井)