Blanc YM デザイナー 宮内裕太郎
2022.01.14

インディペンデントな東京の30代デザイナーが作る、“具体の積み重ね”が生み出す服



Edit&Text by Yukihisa Takei(HONEYEE.COM)
Photo by Kiyotaka Hatanaka
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近年、東京から発信されるブランドは、より記号を排したミニマルなデザインが主流になっている。すぐにどこのブランドなのか分からなくても、そのブランド独特のシルエットや素材、ディティールワークを知っている者同士が小さく頷き合うこともあるし、あくまで着ている本人たちの満足感の中にだけその答えがあることも多い。かつてよりも、ファッションがこれみよがしなものではなく、パーソナルなものになっているのが現在の東京の服好きたちのリアルな姿かもしれない。

Blanc YM(ブラン ワイエム)は、そんな今の東京を象徴するブランドのひとつと言える。アイテムはベーシックでシンプル。気をてらったデザインではないが、ありきたりではない。それでも見ればBlanc YMだと分かる特徴を持つデザインワークによって、徐々に認知を広げてきた。

今回は注目の若手東京ブランドのひとつ、Blanc YMのクリエイションの背景について、デザイナーの宮内裕太郎に話を聞きに、東京・中目黒のアトリエを訪ねた。

ファッションカルチャーではなく、服そのものに目覚める

デザイナーの宮内裕太郎は、2015年、26歳の時に単独でブランドを立ち上げ、現在もほぼ一人体制でブランドを運営しているが、近年その注目度は高まって来ている。

宮内が服にのめり込み始めたのは2000年代初頭の中学生の頃。Supreme や BAPE® 、裏原系ブランドの流行の渦中でファッションに対する興味を持ち始めるが、同時にそうしたファッションカルチャーから醒めるのも早かったという。

「同世代はどちらかというと服周辺のカルチャーに傾倒していましたけど、僕はむしろ“服そのもの”に関心が向いていました。当然古着やモードにも惹かれましたが、服のデザインや成り立ちの方に関心が向いて行ったのです」

宮内はその興味の赴くまま高校卒業後に文化服装学院の夜間部に入学。当時からファッションの世界での物作りに漠然と興味を持ちながらも、デザイナーになることまでは考えていなかったという。しかし卒業後わずか3年で自己資金を貯め、現在のブランドの前身となる Blanc を立ち上げた。

「卒業する頃には独立願望もあり、当時はどこかの企業で自分が働いているイメージも湧かず、誰かに師事することもなくブランドを立ち上げました。ただ服が好きだったという想いだけで作ってしまったので、今になって考えれば少し無謀だったなとは思います」




足で探した生産背景

ファーストコレクションとなる2015SSシーズンは、わずか5型10着ほどでスタートした。

「アイテムはトレンチコート、パンツ、Tシャツの1ラックだけでした。合同展示会に出てみたら、ありがたいことに数軒の取引先が決まり、資金面だけでなく、モチベーション面でもブランドとしてのスタートを切ることができました」

服作りは、こだわるほどにその生産背景が重要になる。特に宮内が志向する、プリントもののような服ではない場合、生地調達や縫製工場との連携は欠かせないが、何のバックボーンも持たない宮内は自らの足でそれらの生産背景を探したという。

「日本国内で言えば、“ウールは愛知の尾州”とか、“コットンは浜松”くらいは知識として知っていたので、それぞれの地元の商工会議所のようなところに行って『新しいブランドを作るので、工場を見せてくれませんか』と尋ねて歩きました。また知人を伝ってなどして縫製工場も探し、自分の納得いくクオリティーの工場と出会うのにもかなり時間を要しました」

Blanc YMの服は、その素材選びに注目されることが多い。カシミアなどの高級素材もナイロンのような化学繊維もフラットに捉え、自在に使い分けながら、時にはトレンチコートの素材にシルクを使うなど、その振り幅は大きい。国内の生地メーカーの中からその服に相応しい素材を選ぶこともあるが、オリジナルの生地を発注することも珍しくない。

「だからと言ってオリジナルだから良いというわけでもないと思いますし、既存の生地だから手を抜いているということでもないと思っています。あくまでその服にその素材がフィットしているかを考えた結果の素材です」




“服は具体の積み重ねで出来ている”

宮内の服作りの面白いところは、イメージ至上主義でも、素材至上主義でも、デザイン至上主義でもない点だ。通常デザイナーはどこかに重心を置き、それがイコールブランドの特徴となっているところが多い。宮内の場合、「Blanc YMはプロダクトブランドでもないし、イメージを重視したブランドでもない」と話し、そのトータルバランスの先にクリエイションの核を見ているという。ここが宮内の感性が“フラット”と評される所以だ。

では宮内の服作りはどこからスタートするのか。それは主にディティールから始まることが多いという。

「僕は漠然としたイメージやコンセプトより、具体的に服を作るところからスタートするタイプです。編み地やポケットの仕様、襟の形とか、本当に細かな仕様などから発想が始まることが多いです。そこからパズルのように構成していく感覚だと思います」

宮内の中では、服とは「具体の積み重ね」によって作られているという。

「例えばマキシ丈のトレンチコートはスタート時から定番的に作っていますが、最近作ったブルゾンは、そのトレンチコートを真ん中でカットしたようなデザイン。ブルゾンを作るところから発想するのではなく、これまで積み重ねきた自分のアーカイブの中から生み出すような考え方です。服ってマテリアルやディティール、シルエットの選択の連続であり、その具体の積み重ねの先にあると思うんですよ」

日本で服を作り続けるために

1ラックでスタートしたBlanc、そして2016年にBlanc YMに名称変更をし、国内外で順調に卸先も増える中、現状でもアイテム数はワンシーズンで15〜20型で展開をしている。これは通常に比べて決して多い数ではない。

「基本は自分が着たい服であることがベースにあるので、1点、1点納得した上がりまでにかなりの時間がかかり、1st、2ndサンプルからの改良は日常です。耐久性を追求したものづくりはしていないけど、長く着てもらえるものにするためには、もっと検証の時間も必要だと思うので」

そして宮内は工場の生産現場に極力足を運ぶようにしているという。

「生産の現場を見せてもらうことで新しいアイデアが生まれてくることも多いし、工場の方と話をすることも大切だと思っています。最近思うのは、日本でのモノづくりが当たり前だと思っていたけど、決してそうではないということ。高い技術を持っているところは当然価格も高くなるのですが、この先それが失われてしまわないように、服がそうしたプロセスを経て生まれてくることを、デザイナーも発信していく時代だと思うんですよね」

宮内裕太郎 Yutaro Miyauchi

1989年生まれ。文化服装学院夜間部服装科を卒業し、2015年にBlancをスタート。2016年にBlanc YMに改称し、日本国内外で展開。

https://blanc-ym.com

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